陸路マレー半島縦断の失敗と良い出会い・思い出

1999年から2000年に正月休みを利用して、日本ーバンコクーシンガポールーマラッカーペナンーサムイ島・バンガン縞ースラタニーバンコクー日本を計画した。

そして、移動方法はシンガポールからバンコクまでは陸路ですることを考えていた。

この旅行前の夏休みを利用して、サムイ島・バンガン島を一週間ほど滞在したのでその辺の土地勘は予習済だったので、記念する2000年は、サムイ島orバンガン島で迎える予定として、その他は行き当たりばったりで行くことにした。

バンコク

当時天皇誕生日も12月23日に日本を経ち、バンコクへ。次の日はシンガポールまでの航空券を買い、翌25日にシンガポールへ向かった。

1999年12月23日の成田空港

 

シンガポール

 

予定通りチャンギ空港に到着し、バスで市内で。

当時持って行ったガイドブックに載っていた安宿を目指してバスを降りたが、案外簡単に安宿が何軒か入ったビルを見つけることがで、独房のような部屋にチェックインした。

シンガポールは、安宿の環境が悪いとは聞いていたが、当時はそうゆうところに慣れていなくて、案外驚いた。

宿の前には、ヒンズー教の寺院があった。初めて見たので印象に残っている。

次の日は、街歩きをした。

今は閉鎖されたシンガポール駅。前は、マレー鉄道の始発駅だった。

 

村上龍の小説で知ったラッフルズホテル

街角のホーカーズ。日本風に言えば屋台村かな。街中のそこかしこにあるので食べ物には困らない。流石、中華系の国だ。

シンガポールには、二泊し、翌日朝早く、宿から歩いて10分ほどのバスセンターへ。

 

マラッカ

バスは少し走って、シンガポール側のイミグレーションに着き、出国手続きし、再度バスに乗り込み、国境となっているJohor Causeway Bridgeを渡り、マレーシア側のイミグレーションに。そこでイミグレーションカードを記入するわけだが、イミグレーションカードに確か?Drug is Deathと書かれて驚いたことを覚えている。当時から、マレーシアはドラッグに非常に厳しいとは言われていたが、なかなか直接的な表現で驚いた。

また、考えてみたらこれが、記念すべき生まれて初めての陸路での国境越えだった。

無事、手続きをし、再度、バスに乗り込んでジョホールバルのバスセンターへ。

そこで、余ったシンガポールドルをマレーシアドルに両替し、マラッカ行きのバスに乗り換えた。

この時すでに、マレーシアは道がきちんと整備されていた。高速道路も整備されており、予定通り数時間ほどでマラッカのバスセンターに到着。バスセンター近くの安宿にチェックイン。次の日の夜便でのペナンへの移動を考えていたので、一休みして観光へ。

おなじみのオランダ広場

 

セントポール教会。マカオのセントポール教会を小さくした感じ。やはり。フランシスコザビエルゆかり。

小高い丘で、マラッカ海峡が見下ろせる。

 

ここで、マラッカ海峡に沈む夕日を見学。

次の日は、半日、トライショーをチャーターして市内観光して過ごした。

バスの出る夜まで、ゲストハウスのリビングを使っていいと言われたので、シャワーを浴びて、バスの時間まで休ませてもらって、そして、夜便でペナンへ。

 

ペナン

確か、10時ころにマラッカを出たバスは、奇麗に整備された高速道路を走り、ペナン・ジョージタウンのはずれに夜中の2時半ころについてしますった。私は、当然朝に着くものだと思っていたので困ってしまった。

当然時間が時間だけに、ガイドブックに印をしていた宿は閉まっていて途方にくれながら歩いていると、手招きをする女性軍団がこんな夜中なのに商売に精を出していた。世界中、個の商売だけはどこに行ってもあるんだな?とつくづく感じた。

しょうがないので、空いているコンビニがあったので、飲み物を買い、外のベンチで飲んで休んでいると、お犬様たちが集まってきた。東南アジアは全般的に治安がいいので、一番怖いのはお犬様たちにからまれることだ。6or7匹はいたと思うが、怖くなってコンビニに入って犬が怖いというゼスチャーをしたら、椅子をかしてくれたので、中で2時間位休ませても

らった。

 

明るくなってきたので、開いている食堂で朝飯を食べて、ジョージタウンを歩いた。

 

本当は、一泊はする予定であったが、歩いているうちに、「もう、いいや!」という感じになり、対岸のバタワースからタイに入国してしまおうと決めた。

ジョージタウンの古い旅社。深夜特急の沢木耕太郎がペナンで泊まったようなイメージだ。

数年後、ペナンを再訪する機会があり、訪ねてみたら門と建物は奇麗に修復され、小綺麗なホテルになっていた。

 

ハジャイ

ジョージタウンのフェリー乗り場からフェリーに乗り、バタワースの駅で列車の時間を見たら、数時間の待ち時間でバンコク行きがあるとのことなので、それまで駅のベンチで寝て待ち時間をつぶした。

その日は、私にとっての二度目の陸路の国境越えをし、タイに入国し、ハジャイで降りて、一泊することに。

駅前にいたバイクタクシーの運ちゃんにホテルを紹介してもらった。

やっぱり、イスラム圏の国からタイのようになんでもある国に入ると飲み屋や少しエロ系の店の看板など、大分雰囲気が違うことに気が付く!

マレーシアアではアルコールを飲まなかったので、やたらシンハービールがうまく感じた覚えがある。

 

翌日は、あさから列車に乗り、サムイ島・バンガン島へ船が出るスラタニへ。

スラタニには、お昼頃にについて、フェリーの待合場所になっている食堂で、ご飯を食べたりしながら時間をつぶした。

そこの事務所から、港までバスで移動し、フェリーへ。

サムイまでは案外大きなフェリーだった。

この時には、サムイでなくバンガンまで行こうと決めていた。

 

サムイの港について、今度はパンガン行きの小さなボートに明らかに定員オーバーな人数を乗せられ、パンガン島・トンサラの港へ薄暗くなりかけた時間に着いた。

 

バンガン島

これからがまた大変で、トンサラからハードリンビーチへ行って、宿を探したがどこも「FULL! FULL!」で埒が明かない。考えてみたら、年末かつシーズン真っ盛りの12月30日だし31日にはこの島の代名詞になっているpartyがあるので人が一番多く集まっているようであった。

しょうがないので、また、トンサラの港の方にもどり、周辺の宿を回っても、どこも「FULL! FULL!」だ。

港近くを歩いていると、一軒の旅行代店のような看板が目に入ったので、「ホテルないか?」と訪ねてみた。そうしたら、そこのお兄ちゃんが、一緒に近所の知り合いの宿屋を何軒か?案内してくれたが、やっぱりどこも「FULL! FULL!」だ。

しょうがなく、お兄ちゃんの店に戻り、世間話をしていたら、お兄ちゃんが店の床を指さして「泊まれよ!ここに!」というジェスチャーをしてくれた。

よく「人が神様に見えるときがある!」というがお兄ちゃんが「ブッダ」に見えたww

快く泊めてくれた夫婦(当時はまだ新婚さんだった。)

写真の二人の後ろがトンサラの港。

奥さんの実家がハードリンで旅行代店をやっていてその手伝いをしていた。

布団を敷いてねた店(奥は夫婦の寝室とトイレ兼シャワールーム)

 

翌日は、朝からトンサラの港の周辺を聞いて回るがダメ、また、奥さんが実家にハードリンの方は宿はないか?と聞いてくれたりしたが、ダメとのことだ。

 

どうしよかと考えていると、お兄ちゃんが「我々は、new yearで今日(31日)から1月2日までスラタニの(お兄ちゃんの)実家に帰ってくるので、その間、留守番しておいてくれ。そして、その間にホテルを探せば!1月1日になれば、部屋は空くはずなので、もし、見つかったのならカギはハードリンの奥さんの実家の店に届けてくれればOK!」と言ってきた。私にとっては断る理由もないので、店番兼留守番することになった。

 

31日の夜は、この島の代名詞のpartyのnew year版が開催されるので、是非、参加するというより話のついでに見てみたいと思っていたし、それで2000年を迎えたいと考えていた。

しかし、残念案ことに夕ご飯を食べて、お酒を飲んだりして寝てしまった。夜中前に目が覚めたのでそれからも出撃出来ない訳でもなかったが、雨もふっており、相当に疲れも溜まってきていたのであきらめて寝ることにした。

これが私の1999年から2000年の大晦日だったww

 

翌日(1月1日)にハードリンに宿探しに出かけた。

夏休みにハードリンに滞在していたので土地勘はあったし、めぼしいバンガローもチェックしていた。幸い、目星を付けていたバンガローが部屋が空いたとのことで無事確保出来、移動してチェックインして、お兄ちゃんの店のカギは奥さんの実家の店に預けた。

ハードリンビーチ full moon partyで有名な場所

 

その翌日、午後過ぎトンサラのお兄ちゃんの店に行くと、二人は帰って来ていた。

そこで、今度はバンコクまでの帰りのチケットを少しでもお礼になればとお兄ちゃんに手配してもらうことに!

第一希望はスラタニからバンコクへ列車を考えていたが寝台はいっぱいとのことでダメで、結局、スラタニの空港から、1月4日にバンコクへ帰ることになった。

 

最後に

 

ここで、陸路で縦断という計画は失敗に終わった!

しかし、大変に良い出会いがあり、一生の思い出をつくることが出来た!

 

ずっと、この夫婦にお礼に行かなければと考えていたが、その後もタイへ数十回行っているはずだが、なかなかバンコクより南へ行く機会がなくなってしまった。

しかし、もう二人の店は同じ場所にはないだろうが、訪ねてみたい!

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